かぎゅー庵
日々思うことを徒然に。百合(少女同士の恋)小説・イラストなども置いています。この手のジャンルに興味のない方、嫌悪を感じる方はご注意ください。また、ジャンルがアダルトですので、18歳未満の方はご遠慮下さい。
しょぼじ4  雛鳥を守る方法



冬晴れの空が澄んだ青を広げ、雲がひとすじふたすじ白い筆でさっと描かれている。

はあっ…と息を吐くと、目の前が微かに曇る。

近頃は暖冬が当たり前のようになってきたけれど、こんな身の引き締まる日も悪くない。

綾瀬はクラスの男子に手伝ってもらいながら、大きな屑籠の中身を焼却炉へ放り込んだ。

今は放課後のお掃除タイム。

上の窓から黒板消しをパンパン叩く音や、「こら、ふざけるな」とまじめに掃除しない子を
叱る声が響いてくる。いたって平和なんである。

当番ではない生徒たちは下校に部活にと、水を得た魚のごとく四方八方へ散らばり始めた。

「なあ、一之瀬よー」

当番の男子が不意に話し掛ける。

「なに?」

綾瀬が答えた。

晩生というわけではないが、日頃あまり男子とは話さないので、こういうシチュエーション
は珍しい。

「おまえさあ、恋バナとかよくする?」

「―――え?」




思わず見返すと、

「いや、女子ってレンアイとか語るのしょっちゅうなんだろ?」

話を振った長峰敏光〔ながみね・としみつ〕はそう言うと、丸刈りにした頭を照れたように
つるりとなでた。

(あれまあ)

綾瀬はちょっと驚いた。

驚いたというのは、色々な意味で。ひとつ、綾瀬は男子から話し掛けられることが滅多
にない。ひとつ、彼女自身は恋愛に関する興味がいまひとつ薄く、従ってその手の話に
絡むことはまず無い。そしてもうひとつは、にもかかわらず結果的に恋話へ首を突っ込
んでしまうケースが多い(しかもガールズラブ)、などなど。

―――女子同士の次は男子ですか。

「しょっちゅうってわけじゃ…なに、誰かとつき合ってるの?」

一瞬、「それってボーイズラブ?」とツッコミそうになったが、危ういところでとどまった。
世の中には、男女の恋愛というものもありますし。

案の定、長峰は、

「ああ、4組の小幡って子と」

とあっさり認めた。

「ふーん…それはよかったね」

「いや、よくないんだ、それが」

はあ…とため息をつく。

「?」

綾瀬がきょとんとすると、長峰はちょっと辺りを憚ってから、

「なんかよー、なんてんだ…あ、愛情が足りないっつーの? なんかいまひとつでよ。
…悪ぃ、慣れてないんだ、こういう話」

(別に謝らなくてもいいのに)

目の前の男子は背が高く、体型的にはひょろりとしているが、つくところにはしっかり筋
肉がついている。そういえばバレーの選手だとか聞いたことがあるような。

自分の恋愛話に照れているところは、なかなかかわいい。好男子と言っていいのかもし
れない。が、しかしだ。

(なぜに、わたしへ話を振ってきますか)

恋の相談なら他の女子の方が経験もあるだろうに。

「あー…そういう話は他の人に聞いてみた方がよくない?」

一応、釘を刺す。

「なんで」

「わたし、そういうのあんまり詳しくないから。経験もないし」

「だってよ、おまえ、しょっちゅう本読んでるじゃん」

「あれは趣味です」

「うーん」

長峰は顎をさすって、

「…いや、他の女子ってよ、なんつーか話し掛けにくくってさ。おまえなら、こういうの相談
するのもいいかなっと思ったんだけど」

―――あんた、さり気に失礼なこと言ってるよ。

するとなにかい、あたしはハードルが極端に低い女なのかい?

…なんて言ってもこの唐変木には通用しそうもないし、適当に流すか。

「詳しくはないけど、話聞くだけならいいよ」

「マジ? サンキュー、愛してるぜ」

(うえ)

冗談っぽくでも、そういうことは気軽に言わないで欲しい。

「調子に乗らない」

「悪ぃ」

「でさ、どうする?」

「そうだな…俺、部活あるから、夜に電話するってのはどう?」

「いいけど」

「じゃ、そういうことで頼むわ。8時頃でいいか?」

「了解」

「ありがとな」

そう言うと、用は済んだとばかりに一人駆け出す。あ、おい、部活出る前にこのゴミ箱!
…と言う間もなく姿を消してしまった。おいおい。

(…なんつーか、こういう話が出る度に貧乏くじ引いてるような気がする)

ゴミ箱をズリズリ引きずりながら、綾瀬は小首を傾げた。

 

 

     *     *     *

 

 

さてさて、そんな話はこっちへ置いといて。

今日は大切な用事。

「白姫」

市立図書館のドアをくぐり、一階の待合ロビーへ赴くと、そこにお目当ての人物を見つ
けて手を振る。

丸テーブルを囲んで席が四つ。そのうちのひとつに、長い髪の少女が座っていた。肌
が抜けるように白く、異様なほど顔立ちが整っている。これがもうすこし人間味というか、
どこか均衡の取れない顔だったりすると、ナンパのひとつやふたつは受けそうなのだが、
あまりに完璧すぎる容貌のせいで、なんとなく人が避けてゆくほど。

もっとも、この不可思議な少女は自分の好きなように存在感を消したり表したりできる
ので、まったく動じていない。というより、わりとつき合いの長い綾瀬でさえ、彼女がうろ
たえたのを見たことがなかった。

白姫夢子〔しらひめ・ゆめこ〕は持っていた文庫本をぱたりと閉じて、綾瀬を見た。そし
て、首を微かに傾げる。

「どうかした?」

テーブルへ近づきながら、綾瀬が訊いた。

「…影が見える」

白姫がぽつりとつぶやく。

「影?」

「男の影」

「え」

思わず後ろを振り返る。なにしろ白姫であるから、色々と説明のつかないものまで見え
ちゃうのだ。

「そうじゃないわ…生きてる人」

白姫は訂正した。

「なあに、男でも出来るっていうの?」

笑いながら綾瀬が席に着く。我ながら恋人がいないのをジョークのネタにできるという
のも、ちょっとわびしい。

「注意した方がいいわ」

綾瀬が座ったかわりに、今度は白姫が立つ。ロビーに備え付けの自動販売機へコイン
を入れ、綾瀬にはミルクティー、自分はレモンティーを買った。

「ありがと」

あまり飲み物にはこだわらないせいで、その日の気分で飲みたい物が変わるけど、い
つも白姫は綾瀬が何も言わないうちから注文を見抜いてしまう。ツーカーというより、一
種の読心術だ。

あったかいミルクティーを啜りつつ、夢子の顔を見ていると、心がホッとほぐれていくの
がわかった。たいていの人は白姫と居ると落ち着かないようだが、綾瀬は彼女と居る時
が一番安心できるのだ。

「ねえ、綾瀬」

白姫がレモンティーをふうふうしながら言った。

「なあに」

「浮気したら許さないから」

「むっ、」

飲みかけの液体を危うく吹きそうになる。

「…ちょっとお、冗談言うなら、もっとましなのにしてよ」

白姫は微かに笑みを浮かべ、

「いずれわかるわ」

とつぶやくように言った。それから話題を変え、

「今日の本は?」

うながされた綾瀬は学生鞄から箱入りのハードカバーを取り出し、

「じゃーん。『ク・リトル・リトル神話体系』」

「わたしは『怪奇小説傑作選』の5」

「おっ、渋い人選」

「訳は平井呈一がわたしは好きね」

「うん、わたしも。それにさ、彼のチョイスって目が肥えてるって気がする」

「そうね」

よしよし、今日はクラフトさんちのラヴ君についてということで。

(これこれ、これでいいのよ)

好みの作家の作品について思うさま語り合う。これを読書仲間の醍醐味と言わずなんと
言うのか。

ゆったりとくつろぎながらひとしきり語った後は、ふたりして図書室で借りる本を選び、そ
れから街の古本屋へ繰り出してまた本を買う…およそ読書好きの黄金パターンを踏襲し
つつ、綾瀬は至福の時を過ごすのだった。
 

 

     *     *     *

 

 

八時を少し過ぎた頃、長峰から電話が掛かってきた。自室で充電中の携帯電話と取る
と、

「一之瀬さんのお宅ですか」

ちょっと緊張気味の声。こうして低い声だけを聞くと、昼間のスポーツ少年の面影は薄
れ、やや大人びた印象を受ける。

「はあい。本人です」

「綾瀬か」

ホッとしたのか、いつものくだけた口調に変わった。

「今、暇?」

「本読んでる」

「おまえって本当に本の虫な」

呆れたように敏光。

「俺、文字ばっかの本って読めねー」

「そうかなー、読書しないって人生の損だと思うけど」

「ちなみに今なに読んでんの?」

「『イタイあいつ』」

「…よくわかんねー」

「BLだよ。ボーイズラブ」

「ボーイズラブ?」

「うん。君みたいな男の子たちがお互いにイヤラシイことすんのさ」

「わっ、マジかよ。そんなもん読んでんの?」

相手の姿が見えたら、思いっきり引いてるだろうな。

「ははは、安心して。現実にいないような超美男子ばっかの空想小説だから」

「…それ、すっげー嫌味に聞こえる」

「でさ、どうする?」

「どうって?」

「あたしの趣味を知った上で、なお恋バナがしたいかね、長峰クン」

受話器の向こうでしばしの沈黙。

「…おまえに聞くとなお分かんなくなりそうだけど、いいや。

それでよ、俺が小幡って奴とつき合ってるって話したろ? で、ちょっとわかんないこと
があって」

「どんな?」

「…あー、その、恋人同士ってさ、もうすこし砕けてるっつーか、あー、距離が近いって
いうか。そういうのが無いんだよな、俺たち」

「具体的には」

「具体的にはその、デートの時はふたりっきりになるとか、自分の用を置いて、とりあえ
ずは相手とつき合う方を選ぶとか…や、俺も部活あんだけどね。休めないし。…でもよ、
彼氏とデートの約束を『友達と約束してるから』ってキャンセルしないと思うんだわ、あ
んま」

「あれ? ちょっと待って」

綾瀬がストップをかける。

「『デートの時はふたりっきり』って…ふたりっきりじゃないの、あんたは?」

「うん。それがよ、圭子のやつ――圭子って小幡のことなんだけどね――ダチ連れてく
んだよ、俺らのデートにさ」

「…ううん?」

綾瀬は眉をひそめた。なんだか、また雲行きが怪しい。

「ダチ、っていうと。小幡圭子〔おばた・けいこ〕さんの友達ってことね? 女の?」

「おう。ふつうよ、そういうことしねーだろ? カップルならさ。

…まあ、もともと俺はそのダチの方とつき合いたかったんで、最初はそっちへ声掛けた
んだけどさ」

「ええ?」

こめかみに指先を当てる。

「…ちょっと待ってよ。それじゃなに、あんたは小幡さんの友達とつき合いたかったわ
け?」

「お、おお」

「その人の名前は」

「神楽日叉〔かぐら・ひさ〕」

「どんな字書くの」

「神楽は神さまに楽しい。日叉はお日様に、なんだ、交叉の叉かな」

「神楽さんから小幡さんに乗り換えたわけは」

いくらなんでも少々無節操なんじゃないかと思ったのだが。

「いやよ、それがよー、神楽が俺の部のメンバーといとこ同士でよ、時々顔見せに来た
んだわ。そんでもって、なんとなく俺も話に混じってたら、けっこうかわいいんだ、神楽。
人気あるし。だからよ、他の奴らに盗られるくらいなら、って思って先声掛けたんだわ」

「それで…返事は?」

「んー、そん時は即答しないで『友達と相談するから』ってことで。そしたらよ、次の日
小幡がうちのクラスに来てよ。『日叉とつき合うくらいなら、あたしでどう』って言ってくる
んだ」

「それで、つき合っちゃったわけ?」

ちょっと呆れていると、

「…いや、…その、…なんか、圭子って積極的で…」

しどろもどろに弁解する。なんだか聞いていると、なんでつき合ったのか本人もよく分か
っていないようだ。あまり追求するのは良くないかもしれない。

「ねえ、あんたは圭子さんから誘われたって言ってるけど。その圭子さんがあんたと距
離を置いてるって、矛盾しない?」

「や、俺もそう思うんだけど。実際そうなんだから」

「どのくらいまでいってるの。キス?セックス?」

「そんなことまで聞くのかよ」

「答えたくないならいいけど」

受話器の向こうで、しばらく沈黙した後、

「…キスは最初のデートで。ラブホは二、三回行った。でも、それっきり」

「え」

「だからよ、キスもセックスも最初のうちだけってこと。後は、…なんつーか、他人行儀
っつーか。逢って話しなんかはするけどね。手とかあんま握んないし、もしかして俺嫌
われてんのかなって思うこともあるけど、こっちから電話しないと『冷たいじゃない』って
掛かってくるんだ。もう、俺わかんなくってさ」

「はあ」

それはこちらも分からない。

「あんたはどうなの、小幡さんとつき合ってて。楽しい?」

「そりゃ、あいつは美人だし、一緒にいると楽しいよ。だからつき合ってるんだし。けどよ
ー、何かっつーと『今日は日叉と約束してるから』とか、『ごめん、急用で友達と出掛け
るの』とか言われると萎えるんだわ、俺」

「ふーん」

綾瀬は考え込んだ。

架空の恋なら本の中でいやというほど体験した。が、現実の恋愛となるとどうだろう?

この場合は正直に自分の感想を言うしかない。

「…なんか、聞いてると熱なさそうだね、彼女」

「やっぱり?」

ふぅ〜、と携帯越しにため息が聞こえる。

「実際どうなのかしんないけどさ。友達の話とか聞いた限りでは、もうすこし彼氏の都合
に合わせると思うんだけど、ふつう」

「だよな」

「でもそうなると、彼女から誘ったって意味がわからなくなるよね」

「そうなんだよ。だから、おまえに相談してるってわけ」

「…あんまりお役に立ってないみたい」

すると、長峰の慌てた声がする。

「や、そんなことないって。…こんな話よー、女子でも男子でも軽く話せないだろ? 話
聞いてもらえるだけでも助かる」

「うーん…そうか」

(意外にまじめだなあ)

綾瀬のクラスの女子なんか、酒のつまみっていうわけじゃないが、しょっちゅう恋バナネ
タで盛り上がってるけど。

おそらく敏光の性格上、そういうのは一大決心をして話すものと決め込んでいるらしい。

「でもさ、恋バナなんてもうちょっと気楽に話すのがいいじゃない。少し気持ちにゆとりを
持って考えると、相手の反応も変わってくるかもよ」

「おおー、さすが。伊達に本を読んでないなー」

いや、感心されても困るんですけど。なにしろ本しか読んだことがないし。

「あたしが思うに、圭子さんにも何か事情があるんだと思うよ。あんたに話しづらいような。
それでなかったら、元々そういうのが彼女のペースなのかもしれない。ふつうに考えるよ
り、友達を大事にするとかさ。ほら、よくあるじゃん、『恋人ができたら友達と疎遠になっ
て孤立した』とか…女ってわりとそういうの気にするのね。

だから、ここはまず波風立てないように相手のペースに合わせて、自分なりに楽しめる
ように工夫したらどうかな。それで圭子さんの気持ちが掴めてきたら、あんたの気持ち
を話せばいいんじゃないかな」

「おー、そうか…じゃ、あんま事を荒立てないというか、相手を問い詰めないというか」

「そうそう。せっかく手に入れた恋人なんだもの、大事にしなくちゃ」

「お、おお…それもそうだな」

今度は安堵のため息。

「…なんか、おまえと話して気分が晴れた。助かるわ」

「こんなのでよければ、こちらもホッとする」

「サンキュー、愛…じゃなくって、ありがとな」

「いえいえ」

電話が切れたので、携帯を充電器に戻す。

綾瀬はしばし考え込んだ。

―――これって、もしかして、もしかしなくてもアレだよなあ。

何度も経験している『アレ』の匂いがぷんぷんする。

(ややこしいことにならなきゃいいけど)

読みかけの本を手に取る。今夜は『妖女サイベルの呼び声』。古本屋で売っていた、
わりと状態のいい物だ。

心配は心配だけど、他人事だしねー。

自分でなんとかしてもらいましょ。

 

という綾瀬の期待は、ものの見事に破られる運命にあったのだが。

 

 

     *     *     *

 

 

週が明けて、月曜日。

「でさー、日曜のデートがドタキャンされてさ。むかついたから、夜、電話で文句言った
ら『俺にも都合があるんだ』って開き直りやがってさ。それでも〜、小一時間近く口論
になって。まったく、自分のカノジョをなんだと思ってんのよ」

お昼休みの食事時、坂本がブチブチと不満を漏らし始めた。

月曜早々おもしろくない顔をしていると思ったら、それが原因か。

「まー、それは彼氏が悪いよね」

「開き直るってサイアクの態度じゃん」

「もっとぉ、こう、繊細に接して欲しいのにね〜」

本当は彼氏が悪いのか坂本が悪いのか、そもそもこういう問題に善悪がつくのか微妙
なところだが、そこはほれ、追求するだけ野暮なわけで。今は彼女の愚痴を心ゆくまで
吐き出させるのが先決だったりする。

「だいたい男ってさ、なにかってーば部活だ仕事だって勝手過ぎんのよ。テメーの恋人
はみやげ屋で売ってる瀬戸物のタヌキじゃないっつーの」

「なんかさー、一度つき合うと自分の所有物だと勘違いする奴って多いよね」

「そぅそぅ、黙って待っててくれる、みたいな」

「まあさ、坂本の方がオトナなんだから、適当にあしらってあげなよ。ガキっぽいところあ
るじゃん、男って」

「まあね〜」

ふ、とため息をつく。

「そういえば愛美と高橋って、その後どうなったのよ」

みんなの同意を得て気が済んだのか、坂本自ら話題を変える。いつまでも愚痴を垂れ
流しにしない、これ友情が長引く秘訣。

「え…あっ、それは、まだ…その」

学園祭の演劇をたまたま観劇した7組の高橋某くんが、侍女役で出ていた愛美を見初
め、友達を経由して声を掛けてきた、その顛末。一応、交際オッケーということでスター
トしたけれど、ふたりともなんだか遠慮がちで、いまいちノリが悪い。経過報告を半ば義
務付けている級友たちは、事あるごとにその点を突いてくる。

「なあにぃ、『まだ』ってゆーことは、チューもしてないわけ?」

「もどかしーなー、もー」

「本当なら、とっくの昔にHしてるはずじゃん」

(いや、それもどうかと思う)

綾瀬はみんなの側で文庫本を読みながら首を傾げた。

人それぞれスピードも嗜好も違うのだから、二、三ヶ月つき合ったからって、すぐエッチ
に突入するのはいかがなものか(会ったその日からってパターンもあるけどね)。

あんまりせっついて、当人たちに変なプレッシャーを与えなければよいのだが。

…などという老婆心は当然ながら無粋なので、あえて口にはしない。

けれども、あけすけに…というか、ある程度は聴衆の期待に応えて恋バナを披露する彼
女たちを見ていると、あの長峰くんの態度はやはり慎重過ぎるように思えてしまうんだけ
ど。男子って、みんなああなのかしら。

「綾瀬は相変わらず本の虫ね」

愛美が苦笑する。

「今日は何を読んでるの」

「クロフツの『樽』」

「なにそれ〜?」

素子が割って入る。

「20世紀初めの推理小説」

「うわ、古っ」

「ほとんど古文じゃん、それ」

「あんたもさあ、たまには誰だれがいいとか話してみなさいよ。このままだと一生本とつき
合って終わりよ」

坂本が眉をひそめた。

「問題あるの、それ?」

「これだもんな」

津久音が両手を広げて降参のポーズ。

「話になりゃしねえ」

(あんただって似たようなものじゃん)

とは思ってみるものの、相手にするだけ無駄なので矛先を逸らすことにする。

「そういやさ、4組の小幡って子、知らない?」

「なんで?」

「ううん、たまたま耳にしたんだけど」

長峰のことはあえて伏せる。

「うーん…小幡かあ」

難しい顔になる坂本。

「知ってるの?」

「知ってるっていうか…評判悪いよ、あの子」

う。

なにかまたトラブルの予感。

「評判、っていうと…」

「男をね、とっかえひっかえするらしいんだ、小幡って。派手に遊んでるみたい。複数の
男子とつき合ってるんだって」

「ええ?」

―――そんな話なのか。

これはまずい雲行きになってきた。

「あ、その子なら聞いたことある」

愛美が口を出す。

「みゆきから聞いたんだけど、よその子の彼氏にまで手を出してるみたい。恋人を横取り
されたって泣かされた人もいるらしいよ。すごく飽きっぽくって、1、2ヶ月もすればポイッ
って別れるらしいんだけど。美人で愛想がいいけど、女子の受けが悪くって。まあ、同
性に嫌われる典型的なタイプっていうか」

「やだねー、そういう女。節操なさそうで」

「飢えてるんじゃないのぉ?」

やだー、きゃはは、と笑い声が上がる中、綾瀬は腕組みして考えた。

(とすると、長峰が感じていたことって間違ってないのかも)

とはいえ、どうも引っ掛かる。

綾瀬は質問を変えてみることにした。

「じゃあさ、神楽日叉って子知ってる?」

「知ってる知ってる。なに綾瀬、あんたもこの手の話に興味が出てきたの?」

坂本の目におもしろそうな光が宿る。

や、そんな目で見られても、本人は一向にその気がないんですけど。ただ、関わり合
った関係上、知りたいと思うだけで。

「ううん、読書仲間でさ、その子の噂をする人がいて。なんか気になったから、みんな知
ってるかなと思って」

「神楽っていえばさあ」

「そうそう、小幡のマブダチじゃん」

「親友、ってこと?」

「そうね〜、実際あの子しか友達いないんじゃないの、小幡って」

「いつもふたりしているよね」

(…ん?)

『いつもふたり』って…

「ちょっと待って。小幡と神楽がいつも一緒にいるって、なんでわかるの?」

「そりゃ、しょっちゅう見掛けるもん。二人がいるところ」

「なんかさ、二人一組って感じだよね」

「…そんなに一緒にいる友達がいるのに、複数の彼氏とつき合ってるわけ? いった
い、どんな風にやりくりしてるのかな」

すると、笑い声が上がった。

「ダチと彼氏は別じゃーん」

「わかってなぁい、綾瀬はぁ〜」

「そこをなんとかするのが、女のテクニックよ」

「はあ…テクニック」

―――そうだろうか。

みんなが言うのも一理ある。

けど、この場合――小幡のケースに限って言えば、それは違う気がする。

(あたしの考えが合っているのなら、ぴったり説明がつくんだけどなあ)

もう少しだけ探りを入れてみる。

「神楽さんって、モテる? 美人? かわいい?」

「モテるみたいよ。男子の評判もわりといいみたいだし」

「どっちかってーと、かわいい系かな」

「なに綾瀬、あんたもそっちの方なの?」

からかう坂本に続いて、愛美の言った何気ないセリフがとどめだった。

「まあ、あれだけ人気ありそうなのに、彼氏がいないって変な気もするけど」

「―――え?」

「どこかで誰かとつき合ってるんじゃないの?」

「案外エンコーとかぁ、やってたりして」

「え〜っ、マジか?」

―――やっぱり。

これで確信が持てた。

(あとはどう確認すればいいのか、なんだけど…)

 

 

     *     *     *

 

お昼休みの次の休み時間。

「ほら、あの子が神楽日叉さん」

廊下の角から愛美が指差す方を見ると、立ち話している少女がふたり。

どちらが神楽さんなのか、綾瀬はすぐにわかった。

(なるほど、こりゃ美少女だわ)

肩のすぐ上で切りそろえた髪がすっきりと顔の輪郭を形作っている。目のパッチリした、
いかにも擦れていなさそうな外見の女の子だ。

「で、対する方が小幡圭子?」

「違うちがう。小幡は違う意味できれいだから」

「ふーん」

「で、どうすんのよ? 声を掛けるんでしょ?」

以前『赤いハンカチ』の件で手伝ってもらったり、意外と学校内の出来事に詳しい愛美
は、常に協力してくれる。どうやら綾瀬にまつわる奇妙な関わりがおもしろいらしい。

綾瀬はきびすを返すと、元来た廊下を歩き始めた。愛美がその横に並ぶ。

「う〜ん、いや、今はまだ…というか、他人事だし」

「ふぅん」

「…なに?」

「あんた、また誰かに頼まれたんじゃない? 知りたいことがあるって」

う。

さすがに勘が良い。

「図星だけど、ノーコメント。一応、プライバシーにかかわることなんで」

「なあんだ」

言葉ほどガッカリしてはいない様子で、愛美が言う。

「おっ、いた。一之瀬一之瀬」

廊下の向こうから、長峰が小走りにやってくる。

「――どうしたの?」

やや青い顔をしている彼に訊くと、

「それがさ、やっちゃったんだよ、俺。小幡と」

「『やっちゃった』?」

長峰の言葉を勘違いしたのか、すれ違った女子が嫌な顔をした。

「おお。さっきよー、あいつと昼飯食う機会があって。その時、俺、『おまえ、友達思いな
んだな。そんなに神楽のこと大事なんだ』って言ったんだよ。そしたら、あいつ、すっげ
ー怒り出してさ。『日叉のことでいちいち口を出さないで!』だと。俺、何が悪いのかさっ
ぱりわかんなくって、『悪ぃ。いや、友情も大事だよな』ってフォローしようとしたら、『あ
んたとはもうつき合わない』だって。

なあ、俺、何か悪いことした?」

丸刈り頭をガリガリ掻きながら、困惑しきった顔で言う。よほどとまどっていたのか、周
りに人がいるのも気にとめていなかった。

(あー、うー、…何と説明しようかな)

こちらも困っちゃうが、このまま放置するのも長峰が気の毒だ。というより、どっちへ転
がっても気の毒なんだけど。

「…あのさあ、長峰」

「あん?」

「これからさあ、あたしの言うこと聞いてくれる? あんたにとっちゃ、あんまり良くない話
なんだけどね」

長峰は半歩足を退いてから、ちょっと考えた。

「…わかった。おまえが言うなら、ちゃんとした理由があんだろうし」

うなずくので、綾瀬は、

「じゃあさ、後で場所と時間を指定するから、そこまで来て欲しいんだ」

 

 

     *     *     *

 

 

「来てくれてありがとう」

放課後の中庭。

雑草がやや生い茂ったそこは、ふだんあまり人が来ない、学校の中でもエアポケットの
ような空間。密会や秘密の打ち合わせによく使われ、たとえ他人と行き会ってもそれを
誰にも漏らさない、暗黙のルールが成立する場所。すべてが管理され、教師の監視の
目が行き届く学校の中で、こんな所が生まれるのは不思議なようで必然でもあるようで。

そんな空き地に、今、綾瀬と小幡圭子さんが向かい合っている。

(うーん、こっちも美人だ)

鼻筋がすっと抜けて、りりしい顔立ちに意志の強そうな眉が印象的。

目尻のきついカーヴがそこはかとなく妖しい魅力を湛えているようで、この目に誘われ
たら男子なら思わずついて行ってしまいそうな雰囲気を持っている。

「―――日叉のことで何かあるって聞いたんだけど」

落ち着いた声音は鋭いガラスの破片を含んでいた。うっかり踏むと容易に傷ついてしま
う、甘いけど怖い声。

「それは口実」

「え?」

「実はね、あたしと関わりのある男子がさ、あんたのことで悩んでてね。それで、ちょっ
としたツテを頼って、あなたを呼び出してもらったってわけ」

「へえ」

いささかも動じない様子で腕組みをする。こういうシチュエーションには慣れているよう
だ。というか、こんなことは当たり前だという顔をしている。

「それで、あたしに文句つけようってわけ? それともイジメ?」

「あはは、そんなんじゃないよ」

綾瀬が明るく笑って手を振るので、彼女はわずかに虚を突かれた。

「じゃあなんなの? その男子って、あんたの彼氏なわけでしょ?」

「いやいや。残念ながらと申しますか、あたしは彼氏を持ったことがないんで。あなたと
違って」

ちょっぴり皮肉の混じったセリフに目を細め、

「…あたし、忙しいんだけど。用事があるなら手短にお願い」

「じゃ、いきなり用件に入りますか。

小幡圭子さん。神楽日叉さんのために、男の子とつき合うのはやめた方がいいと思うよ」

「―――!」

小幡さんは目を丸くした。

そうすると目尻の妖しい雰囲気が消えて、その下から思いがけないほどピュアな素顔
が覗く。

「…なに言ってるの、あんた? なんでそんな風に思うのよ」

「だって、簡単じゃない。

あなたはいつも神楽さんとベッタリなようだし、そのわりにとっかえひっかえ男子とつき
合ってる。ところがそのつき合い方ときたら、自分から一方的に言い寄ってきて、一方
的に振って終わり。あたしが思うに、あなたのつき合う男子って、みんな最初は神楽さ
ん目当てなんでしょ?

つまり、あなたは神楽さんに男が寄りつかないように、わざわざ自分から名乗り出て、
片っ端から落としていったわけ。あなたは自分の魅力に気づいているし、男を操る術も
知っている。そして、男が神楽さんのことを忘れた頃合を見計らって捨て、次の男子が
神楽さんを狙わないよう、ひそかに監視の目を光らせているって寸法ね。

そう、あなたはまるで雛を狙って巣に近づく蛇の気を逸らすために、自ら囮になって飛
び出す親鳥みたい」

小幡さんは拳をぎゅっと握りしめ、綾瀬を睨んだ。

「わたしが、囮…?」

「小幡さん。あなたの気持ちはわかるけど、あなたを本気で好きになって傷ついた男子
だっているはずよ。それを考えたことある?」

「男なんてみんないい加減よ」

いくらか余裕が戻ったのか、目尻にまた冷笑が戻る。

「ヤルだけヤッたら気が済むのよ。だから、日叉がオモチャになるのだけは避けたかっ
た。せめて…そう、せめて学生でいる時くらいまではね」

「うーん…その気持ちは尊いけど…それでいいの、あなたは?」

「何が?」

「神楽さんに本当の気持ちを話さないで」

すると、小幡さんは視線も鋭く綾瀬を見据え、

「…日叉になにか言ったら、あんただって容赦しない」

「それならもう手遅れなんじゃないかな」

「なんですって?」

 

がさり。

 

後ろの茂みを掻き分けて、神楽日叉が姿を現す。

小幡さんはぽかん…と口をあけていたが、次の瞬間、物凄い形相で綾瀬に掴み掛か
った。

「なんてことしてくれるのよ!!」

ガクガクと揺さぶりをかける。

「あんた…わたしが…どれだけっ! どれだけのっ!」

(うあ…世界が廻る)

視界が二重、三重にブレて、一人ジェットコースター状態。思考がぶちぶちと弾けて、
まともに考えられなくなった、その時。

「ケイちゃん」

やさしい手が、そっと小幡さんの手に重なる。

「もう、いいでしょ?」

「日叉…」

ようやく手が離れて、咳き込みながら呼吸を整えていた綾瀬は、

「…あ〜、息が止まるかと思った。…おばた、さん。この人はね、最初から聞いていた
の。それで、あなたの気持ちが受け止められない時は、姿を見せない手はずになっ
ていたのよ」

「え………あ………それじゃ……」

とまどいもあらわに、小幡さんが綾瀬と神楽を交互に見る。神楽はにっこり笑って、

「ちゃんと、言ってくれれば良かったのに。…わたし、ケイちゃんが男の子なら、迷わず
あなたを選んでいたわ」

「…日叉」

「ケイちゃんに好きな男の子がいるなら、あきらめる。けれど、わたしのことが好きなら、
もう、自分を傷つけるようなことはやめてちょうだい。そのかわり…」

そっと小幡さんの前髪を手で掻き分けると、額に軽く接吻する。

「守ってくれたら、わたしがごほうびをあげるから」

「…日叉…! あんた…!」

その先は、言葉はいらない。

ふたりが熱いくちづけを交わし始めたので、綾瀬は「あー、げふんげふん」とわざとらし
く咳払いをして、注意を促した。

「そういうお熱いシーンは、ふたりっきりの時にしてもらえるかしら」

「ああ…ごめん。あの、あんたは…」

「一之瀬」

「一之瀬さん。ありがとう、って言ったらいいのかな。とりあえず礼を言うわ」

「それなら、もう男の子とむやみやたらにつき合うのはやめてくれる? このままだと被
害続出らしいから」

小幡さんと神楽は見つめ合い、それからニッコリ笑った。

「ええ。きれいさっぱり、別れてあげる。ただし、また日叉に言い寄る男がいたら分から
ないけどね」

「その時は、わたしからちゃんとお断りを入れるわ。わたしには、すてきな恋人がいます
からって」

「もう、日叉ったら」

ツンデレってこういうのを言うのだろうか?

あの凛々しい小幡さんが目尻を下げてにやけている。う〜ん、ちょっと複雑…

「じゃあ、ね。あんたの彼氏にちょっかい掛けるのも今日限り。心配しないでね」

手を振って、神楽さんと手を繋ぎながら歩いていく。

「え?…ちょっ、あたしは何にも関係ないってば。彼氏なんか…って、行っちゃった」

ラブラブハッピーなふたりの背中を見送りつつ、頭を掻く。そして、別な方角の茂みに向
かって、

「――どう、これでわかったでしょ?」

がさり、と茂みが鳴って、長嶺が姿を現した。ぽか〜ん…と口を開けている。

「…女ってわかんねー」

「まあさ、今回のは、いわば特殊ケースだから。たまたま悪いのに当たったんだって」

慰めるように綾瀬がぽんぽんと肩を叩いた。

「だけどよー…ああまでするか? ふつう」

自分とのつき合いを思い出して、顔をしかめる。

「そりゃあ、あんた、女ですもの。男と違って腕っ節にものを言わせることなんてできな
いし。ここは女の武器を使うしかなかったのよ」

「それって捨て身かよ。すげえな」

腕組みをして唸る。

「気の毒だけど、あきらめなよ。あのふたり、きっとあれで幸せなんだから」

「お、おお…しょうがねーなー。あんなにイチャイチャしてるの見せつけられちゃあ」

ガリガリと頭を掻き、

「悪ぃな、一之瀬。めんどくせーことに巻き込んじまって」

「いいっていいって。今度が初めてじゃないんだし」

「なにそれ、まだ他にもこんな事があんのかよ」

フクザツだなー、女はよー、とブツブツ小言を漏らす長峰をなだめつつ、綾瀬はその場
を後にするのだった。

 

 

     *     *     *

 

 

やっと一件落着…と思った、二、三日後。

「一之瀬―、ちょっといいか?」

長峰が放課後に声を掛けてくる。

綾瀬は少し眉をひそめた。

「…なあに、またなんかトラブル?」

今日はこれから白姫と逢う約束をしているんだけど。

「いや、そうじゃないんだけど。…ちょっと時間あるか? 話しておきたいことがあってさ」

照れたように頭の後ろへ手を当てた。

「いいけど…手短に頼むね」

「おう。すぐ済むからよ」

そう言って、長峰は綾瀬を屋上へ連れて行った。

軋む鉄の扉を開けると、ごぅ…と風が鳴る。長嶺はしばらく突っ立って、まじまじと綾瀬
を見詰めた。

「…あ〜、長峰くん? 用件を言ってもらわないと」

「おまえ、俺とつき合わねえ?」

いきなり本題へ入る。

「―――へ?」

思いもよらない言葉に、目が点になった。

「あ……それ……どういう…?」

「だからさあ。俺と、恋人同士の関係にならないかって、言ってんの」

「…えぇ〜〜〜!?」

驚いて棒立ちになる。そんなセリフが聞けるとは思ってもみなかった。第一、こちらから
告るのなら別だが、あちらから告られるなんて、どういう風の吹き回しだろう。

「なんだよ、その反応。俺とじゃ嫌なのか」

あまりにもひょうきんな反応なので、ちょっと面白くない顔をする。

「いや、そうじゃなくて。…全然、考えたことないから。こういうの」

「じゃ、考えて」

「…なんであたしなわけ? あたし、本しか読まない女だけど。つき合っても面白くない
よ、きっと」

「そんなのわかんねーだろ、やってみなきゃ」

長峰は苦笑した。

「別に、すぐチューとかHしようって話じゃねえよ。おまえ、そういうの興味なさそうだし。
…ただよー、俺としばらくつき合って、お互い良かったら本格的にいこう、って話でよ。

こないだの件でさ、俺、おまえみたいなのの方が話しやすいし、楽しいかなって感じた
んだ。だから、ちょっとつき合ってもらいたくて」

「うーん」

腕組みをして考える。

「なあ、おまえも本ばっかじゃなくて、たまには実体験ってやつをやっといた方がいいん
じゃねえ? 俺が言うのもなんだけど」

「そうねえ」

なんとなく電話で押し売りされているような気分だけど。

綾瀬はちらりと長峰を見た。

…顔はそんなに悪くない…というより、顔はどうでもいいんだけど。そこでヌーボーと立
っている、どちらかというと馬鹿正直で性根の優しそうな少年を見ていると(悪くないか
な)とも思えてくる。

―――そうね、お試しくらいなら…

そのセリフをくちびるに乗せて言おうとした瞬間。

 

…ふわっ

 

なにか、やわらかいものが綾瀬を包んだ。

「……………お!?」

長峰が驚愕の表情でこちらを見ている。というより、綾瀬のすぐ頭上を。

綾瀬の頭の上に、顎がそっと乗っかる。やわらかくのしかかられる形で、綾瀬は背中を
やや丸めた。

「それはだめ」

「し、白姫っ!?」

頭を捻って上を見ると、あの白い顔がうっすらと笑みを浮かべている。廻した腕が綾瀬
の胸の前で交叉し、さり気なく掌がバストを覆った。

「綾瀬は、わたしのものだから」

「「…ええ〜!?」」

ふたりして、同時に声を上げる。

長峰は頬を叩かれたような顔で、一、二歩下がった。

「い、一之瀬…おまえもかよ」

「いやっ、これは…その…えっと……」

途中まで「違うのよ」と言いかけて、口ごもる。だって、否定したいのかしたくないのか分
からないんだもの。

白姫との関係を、なんと呼べばよいのだろう。綾瀬は(友情)と考えようとして、初めてそ
の微妙さに気がついた。

宙に伸ばしかけた手をもてあます。

「安心して。もうすぐ、あなたにも恋人ができるわ…ほら」

手品のように白姫がタロットカードを一枚掲げる。そのカードには太陽の祝福のもと、裸
の男女が互いに向かい合って立つ絵柄が描かれていた。

「だから、綾瀬はあきらめなさい」

長峰は白姫と綾瀬を交互に見比べていたが、やがて、ふぅ〜…とため息をついて、

「……女ってわかんねえ」

首を振りながら、屋上を後にした。

白姫が腕を解く。

「…言ったでしょ。浮気したら許さないって」

「白姫…」

ぼうっ…と綾瀬は彼女の顔を見詰めた。頬が熱くなるのがわかる。

「あきらめなさい。あなたは、わたしのものなのよ」

自信があって、というより、淡々と事実を告げている口調。

「…夢子ったら」

不意に綾瀬は、こんなに心臓がドキドキする経験が一度もなかったことに気がついた。
そう、体は反応している…この不可思議で掴みどころのない、白姫夢子という少女に。

それが答えだ。

「綾瀬」

白姫が手を差し伸べるので、綾瀬は素直にその懐へ抱かれた。

 

 

     *     *     *

 

 

「そういえば、長峰に恋人ができるって、さっき占ったよね」

なじみの古本屋の軒先で、ふと綾瀬は思い出した。

白姫は「ええ」と言いながら、箱からハードカバーの本を取り出し、状態を調べている。

「…それって、一応、女なんだよね?」

われながらBLに毒されているとは思ったが、性分なので気になってしまう。

すると白姫はいたずらっぽく笑みを漏らし、

「さあ…どっちだったかしら」

と言ったのだった。





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